毛深くても脱毛しない人生
毛深い男性が脱毛しない、そしてその男性がこれまでに毛深いことで不利益を被ってきた場合、
残りの人生も毛深いことによる不利益を受け続ける
という可能性が高いです。
毛深いということで職場やクラスでいじられたり、毛深いことが見つかって気になっている異性に恋愛対象外指定されたり、夏場に人より暑かったり汗疹ができやすかったり……そういったことは、これからも続きます。
なぜなら、毛深いからです。
僕が変わらなくてもいいんじゃない?
夏場に人より暑い、汗疹ができやすいといった個人的な不利益とは違い、
- 学校や職場でいじられる
- 恋愛の対象外になる
というのは、外的な要因によって起こります。
つまり、社会による毛深い人間に対する観念が、外的な要因で起きる毛深い男性の不利益の原因です。
なので、毛深い男性は思ったりします。
これ、僕が変わらなくてもいいんじゃない?と。
少なくとも、昔、僕はそう思っていました。
確かにそうです。
それは認めた上で、変わらなければならないのは僕たち毛深い男たちだと言えます。
その理由は、
社会が変わるのには時間がかかるし、不確かであるから
です。
社会で共有される観念は急には変わりません。
徐々に人口に膾炙されるようになり、いつのまにかそれが固定となっていきます。
現に毛深い男性というのは、70年代や80年代にはあたりまえでした。
昔の映画などを見ると、映画俳優などは毛深い人がいっぱいいました。
でも、現在はまったく違いますよね?
自分を変えることは悪くない
自分を変えるのには意思と勇気が必要です。
現状のまま、周りが変わってくれれば一番楽です。
しかし、周りが変わるというのは不確定要素です、
誰も自分以外の未来のことはわかりません。
もちろん自分の未来のこともわかりません。
でも、自分の生き方は自分の意思とその意思を実行する勇気で変えることができます。
僕は30年以上も生きてきて、ようやく脱毛に踏み切る決断をしました(ケノンという家庭用脱毛器を使いました)。
ケノンを使って脱毛するまで、僕はかなり自分の体にコンプレックスを抱いていました。
将来も悲観していました。
毛深いことで起きたことは、いつまでも起きる。
5年後も、10年後も、20年後も、自分が死ぬまで起きる。
そんな考えは、ケノンを買って1年もしないうちにさっぱりなくなっていました。
僕の周りの世界は30年経っても変わりませんでしたが、僕自身は、身体的にも精神的にもちょっとした期間で変わりました。
それまで悩んでいたのはなんだったのか。
僕は何を守るために30年以上も現状維持をしていたのか。
今では、不思議な気持ちでいっぱいです。
自分を変えますか?
それとも毛深いまま生きますか?
僕は前者を選びました。


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