ムダ毛さんがころんだ日
体毛が濃い人にとって、転んだときは他の人よりも危険が伴う。
それは、すね毛と膝毛が白日の下に晒されるからだ。
転んだときに擦りむきやすい膝。
その膝の血をぬぐったり、薬を塗ったり、絆創膏を貼るために、僕たち毛深い人たちは恥を忍んでズボンの裾を手繰りあげ、足、すね、膝を公にする必要がある。
そしてそのとき、足の指に生えた毛、すねを覆う毛、そして傷口を囲む膝毛がプロテクションのないまま剝き出しになる。
いつもは長ズボンで隠している秘部が露わになるだけでは済まない。
傷口に毛が絡まないように気をつける必要もある。
傷はいずれ治る。
それは確かだ。
しかしそのための瘡蓋に周囲の毛が巻き込まれ、その上に皮膚が再生されると、まるで琥珀に閉じ込められた古代生物のように体毛が皮膚の下に沈んでしまう。
転ぶ。
人なら誰もが経験はするであろうそのありふれたハプニングにも、僕たち毛の濃い生命体は一段の注意が必要となる。
地獄
体毛が濃い人はこの社会は地獄である。
この社会とは、現代日本社会を指す。
その社会では、体毛は悪しきもの、侮蔑すべきものとして認識されている。
体毛が悪しきもの、侮蔑すべきものとされる社会では、体毛の濃き者たちは娯楽媒体で体毛の薄き者たちの自尊心をくすぐるためのツールとして扱われ、その毛が濃いことを指摘され、その毛を引っ張ることで彼らの口元を緩ませることに寄与する構造になっている。伝統ある祭りのポスターでさえも写真が映ったその毛がハラスメントにあたると掲載を拒絶される。
そのため僕たち毛深い者たちは、その毛が人目に晒されないようにひっそりと生きている。
体毛薄き者たちに見つかれば、どのような仕打ちが待っているかわかったものじゃないからだ。
そう。わからないのだ。体毛薄きものたちがどうでるかは。
彼らは普段は体毛が濃くても気にしないような言動を取ることが多い。
おおっぴらに体毛の濃き者たちを馬鹿にするような言動はしない。
しかし一旦誰かが体毛濃きものだと知れた途端、態度を変える者がいるのを僕たちは知っている。
ムダ毛をさした男
体毛濃き者たちは、己の体毛に怒りを抱えていることが多い。
自分の体であるのに、自分の意思とは関係なく無遠慮に生えてくる物質である体毛。
そのため、多くの者が体毛に過度な攻撃を加えた経験がある。
その一例を挙げれば、
- 全身を剃る
- 毛抜きで抜く
- 強力テープで剥ぐ
- クリームを使い溶かす
などになるが、極めつけは
- 針で毛穴を抉る
であろう。
毛穴さえなくなれば毛自体が生えなくなる……そんな謎理論で毛穴に針を刺し、その痛みに顔をゆがめ、その目に涙が滲む。
そんな苦痛な痛みを経験しながらも、最終的に残るのは、何も変わらず毛が生えてくる毛穴である。
なお、ムダ毛を刺すことを初めとした、体毛へのこれら過度の攻撃は、
体毛の強化・増加
が待っていることに注意が必要である。
過度な攻撃を加えれば加えるほど、体毛は太く、長く、そして同じ毛穴から2本、3本生えるように進化する。
それが体毛という存在である。
チーム分け
この社会には、
- 体毛が薄い者
- 体毛が濃い者
- 元・体毛が濃い者
の3つのチームが存在する。
僕は3番目の元・体毛が濃い者である。
家庭用脱毛器のケノンを使って脱毛をした。
元・体毛が濃い者は、社会的には体毛が薄い者として扱われる。
悪しきもの、侮蔑すべきものとしての体毛自体が存在しなくなったため、体毛が濃い者たちが社会で受ける不利益を受けることはなくなる。
また、元・体毛が濃い者たちの特徴として、体毛が濃い者達に対し、体毛が薄い者たちが濃い者たちに持つ意識がないことが挙げられる。
それは、自分自身が元は虐げられる側であったことが起因しているかもしれない。
しかしここで重要な点は、そういった元・体毛が濃い者たちが社会に増えつつあるということである。
そして、社会に増えればふえるほど、社会の情勢が変わる。
すなわち、いずれ元・体毛が濃い者たちと体毛が薄い者たちの割合が拮抗し、追い越すことも可能になるかもしれない。
そしてそれが達成されたとき、もはや社会の構造としての体毛が濃い者たちに対する認識がそのままでは通じなくなり、改革が達成されるであろう。
僕たち元・体毛が濃い者たちはいつでも君たちを歓迎する。
なおここに、僕の脱毛記録を公開する。


コメント