【体毛とムダ毛の間】

脱毛

大人の階段は細くその根、強く

 

少年が大人に近づくとき、それは現れる。

一本の影。

糸くずにも似たその姿は、『強い』と呼ぶには細すぎて、『弱い』と呼ぶにはしっかりとしている。

それが、それまでになかった場所に生えてくる体毛である。

 

生えてくる場所はそれぞれの個体差による。

腕から始まる者、脚から始まる者。そして陰部から始まる者などだ。

そのなかでも、少年達の間で一番話題に上るのが、陰毛である。

保健体育の時間に性徴について学んだ少年たちは、我先に陰毛が生え始めたことを吹聴し、時には誇示することもある。

そこまではいいのだ。

ある意味それは、『周りと同じである』という共通の感覚を持てるからである。

 

上毛下毛感覚

 

体毛にはランクがある。

一番最高ランクは体のてっぺんにある毛髪である。

そのため、男で髪の毛が少なくなった場合、人権は制限される。

馬鹿にされ、嘲笑され、自虐が当たり前となっていく。

 

その対極にあるのが、首より下の毛である。

特に腕、胸、腹、背、脚、手、指、足に生えた毛は、その量により『ムダ毛』と呼ばれ蔑まれる。

毛髪と反対に、あればあるほど人権が制限され、暑苦しい、くさい、キモい(笑)などと言われ『笑い』の標的になることが多い。

 

時代に翻弄されるムダ毛

 

現在、ムダ毛だと呼ばれているものも、かつては男らしさの象徴と呼ばれた時期もあった。

強さの証、ダンディさの体化粧、男性ホルモンの生育所。

 

が、今はもはや時代が変わっている。

それが分かっていないと、体毛で悩む少年と親世代との間に精神的乖離が生まれる。

特に保護者に限っては、自らの子どものことなので、その体毛でさえ成長の証としてみなし受け止めるが故、問題の発見に遅れる。

 

問題とは、生えてくる体毛が周りより濃く生まれてきてしまった少年は、多くの場合、その毛のために心に傷を負うというものである。

 

自分の体が人以上に大きく変わっていく嫌悪感。

周りから浴びせられる理不尽な言葉。

小さな集団の中だけでなく、ネットやテレビといった大きな声に注意を向けてみても、聞こえてくる『ムダ毛』に対するネガティブな扱い方。

 

人は社会的な生き物である。

止めることができない毛についてのトラウマを背負ってしまった場合、それは大人になっても続いていく。

 

脱・ムダ毛宣言

 

現在の日本で毛深くなる遺伝子をもって生まれてしまった場合、その先は闇であるといっても過言ではない。

体毛の濃い人間は、ハゲとは対極にいながらも社会的に下に見られる。

 

そんな問題の解決方法としては、

 

  • 体毛が濃いことがあたりまえな場所へ移住する
  • 現代のテクノロジーを使って『ムダ毛』におさらばする

 

の2つがある。

 

世界は広く、毛が濃いのが大人の男の証である、という国もある。

そんな国に移住すれば、体毛に関する己の認識が根本的に改まりもする。

 

移住するのが嫌なら、最新技術に頼るしかない。

医療脱毛、美容脱毛、家庭脱毛のどれでもいいが、現在はムダ毛をなくせる技術が発展している。

だが同時に、濃い体毛のことで頭を抱えてきた人には、脱毛することによる不安と疑惑もあるだろう。

脱毛することは、この体の毛について薄気味悪い笑みを浮かべてきた社会に迎合することになるのではないのか、と。

その一面は確かにある。

脱毛が流行っているのは、ムダ毛があることを嫌う風潮があるからであり、その風潮を作ってきたのが濃い体毛を馬鹿にしてきているやつらであるからだ。

 

しかし、実際に脱毛してみると、そんなことはどうでもいいように思えるようになる。

周りに何か言われるより前に、自分の体が濃い毛に覆われることに対してもったあの嫌悪感からも解放される。

すっきりするのだ。

『ムダ毛』と同時に、ムダ毛について言われるあれこれもなくなる。それは副次的なものなのかもしれない。

それでも、今のまま濃い体毛を抱えて生きていくよりはマシな人生が待つようになっているのは間違いないだろう。

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