体毛に覆われたその姿に
体中を毛に覆われ毛深い人生を送っていませんか?
体の毛の生えていない面積と比較したら、毛が生えているほうが広くありませんか?
毛に覆われ、その毛は社会にムダ毛と呼ばれ、ムダ毛に覆われている体が仕上がっていませんか?
体毛をムダ毛と呼ぶこの社会を変えられますか?
ラジオ、テレビ、ネットを通じて、脱毛の広告が溢れるこの社会の意見を変えられることができますか?
それとも、いつか変わることを信じて、日常的に行われる毛深い人に対する差別に怯えながら時を過ごしますか?
ムダ毛は裏切らない
体毛は気が付いたら生え始めます。
僕たちの意識とは無関係に生え始め、増え、濃くなります。
僕たちは自由に体毛の薄さを変えたり、育ちを止めたりすることができません。
体毛は僕たちの命と同じです。
僕たちの命も、僕たちの意識で止めることはできず、ただいつか止まるまで動き続けます。
体毛はただそこにあるだけです。
体毛がムダ毛と社会的に呼ばれても、体毛が社会に反応することはありません。
意思の力で体毛をねじ伏せる
僕たちは、意思で命を止めることができます。
同じように、意思の力でムダ毛を止めることもできます。
それがムダ毛の処理です。
いくら社会が変えられなくても、僕たちは僕たちを変えることができます。
それを社会に迎合すると形だと思うこともあるかもしれません。
しかし、僕たちはすでに髭を剃ったりしているではないですか。
髭を剃るのが面倒くさくても、学校へ行くために、仕事をするために、髭を剃っていますでしょう?
体毛の処理も同じです。
体毛の処理が面倒くさいと思っていても、体毛をムダ毛と呼ぶ社会のために、僕達はムダ毛を処理することができるはずです。
そう思い、僕は数年前にケノンを使った脱毛を始めました。
ケノンを使った大がかりな脱毛は2年前までに終わり、僕の人生は大きく変わりました。
それまでは、体中体毛に覆われ、実際問題他人からあれこれ言われて傷ついたこともあります。
そのせいで、外にでかけるときに、体毛が衣服から飛び出していないか気にしたり、家に帰って風呂場の鏡に自分の姿が映ったときにため息をついたりして、日々がストレスでしたが、そういったことも一切なくなりました。
僕の行為は社会への迎合でしょうか?
たとえ迎合であっても、周りからのいじりがなくなり、僕自身のストレスが亡くなったという現実は変わりません。
社会はすぐに変えられません。
社会はすぐに変わりません。
でも、僕たち自身の意思はすぐに変えることができます。
体毛の処理、いつしますか?


コメント