【ムダゲガミ】

脱毛

 

あの頃はよかった。

パ・カオはときどきそう思った。

何も知らなかった児戯。屈託なく笑え、多少の不安はあれども未来は明るく見えていた。

 

しかしそれがどうなった。

12歳にも満たぬ体に起こった異変。体内よりいでし黒き異物。その色と同じように彼の未来は暗くなっていった。

思いもがけないところから毛が生えるというパ・カオに体に起こった非日常は、やがて日常へとなった。モグラたたきのようにあちらそちらへと顔を出す毛。予想はできず、ただただ朝起きて体を確認するのがパ・カオの日常となっていた。

 

世に言う第二次性徴期とは聞こえがいいが、パ・カオのそれは級友の話すそれとは異彩を放っていた。脇や顎、そして陰部に毛が生えたと色めく男達の中に、パ・カオのように胸や腹も毛に覆われようとしているものはいなかった。また、覆われた毛によって黒く暗く明度と彩度が下がった腕や脚を持つものもいなかった。俺は毛に襲われている、パ・カオは独りごちた。

青春期。輝かしい人生の季節。その中にあって、パ・カオの心は暗かった。

友人と笑みを交えて話しているときも、ふと彼らの毛に覆われていない橙の皮膚に目が行く。

俺は違うのだ(コイツラト)。頭の一部はいつも冷たくなっていた。

そしてある初夏の日。パ・カオには決定的な日となったその日が訪れた。

「見て。パ・カオの脚って日に焼けてる。あっ……」

 

それは体育の授業の一場面だった。その日は、冬服から夏服への移行を完了しておらねばならなかった。画一化された校則の決まりだった。夏服を着れば必然として毛に覆われた体を晒さなければならなくなる。

授業が始まる前、パ・カオは教師に直訴した。恥を忍び冬服を着続けたい旨を伝えた。しかし、教師は何もわかっていなかった。理解する態度を見せながらも、根拠なく大丈夫であるから夏服を着るようにと縁起っぽく熱くパ・カオを諭した。自論と教授法を振りかざして目の前の学生を無視する教師に、俺は一体何を期待していたのだろうか。

そうして待っていたのがクラスの女子による件の発言であり、その内容を理解した周りの女子たちの態度であった。

 

13にしてパ・カオは、異質な部分に生える濃い体毛に対する世間の評価を身に染みて味わった。

思い返せば、漫画やテレビなどで自分と同じような毛を持つものたちは『ケブカイ』などと呼ばれ蔑まれ、嘲笑の対象として扱われていることを知っていた。ケブカイ達の持つ毛は『ムダ毛』と命名されていた。しかしよもやそれが自分自身に向かってくるとは、予想したくなかったのだ。

しかしそれでも、高校、大学、社会人となっても、自らの体毛に対する周りの反応が変わらなかったことにより、パ・カオは自覚せざるを得なかった。自分の未来は明るくない、と。

 

パ・カオは、いくつか苦境を乗り切ろうと切磋琢磨したことがあった。

通常の髭の処理を拡張し、全身の毛を剃ってみたことがあった。

または、パパイヤ酵素なるものが調合されている毛を溶かすクリームも使ってみたこともある。

そして昔日より伝わる毛抜きを使った地道な作業をしたこともあった。

そのどれもが実地直後には多大な満足感をパ・カオに与えた。

憎き体毛がない自分の肌、明度も彩度も上がった皮膚の色にほうと安堵のため息を漏らした。

 

しかし、すべては無駄だった。『ムダ毛』はすぐに甦った。

ムダ毛には、瀕死の状況から蘇ると強くなるという能力が備わっていた。更に太く、硬く、そして同じ毛穴に増殖するというものだった。

ムダ毛との圧倒的な能力の差にパ・カオは絶望するしかなかった。ムダ毛を放置すれば蔑まれ、処理すればムダ毛は強化される。進むことも引くこともできない苦しみの中に置かれ、ただ夜と秋と冬だけが己の心の慰めになることを学んでいった。

 

 

その神の存在について聞いたのは、パ・カオが三十をすぎてからだった。

友人から勧められたのがきっかけだった。

先に入会した友人は、神によりムダ毛を滅することができたとパ・カオに教えた。

半信半疑であったが、確かにその友人が証拠にと見せてきた腕には毛がなかった。

もとからそれほど濃くなかったような記憶だったが、目を凝らしてみても生えていなかった。

 

その神の名前はケノン。友人は嬉しそうにパ・カオに語った。

そして入会後、体毛がなくなっていった詳細を事細かに説明した。

腕から毛のなくなっているれっきとした証拠を目にし、パ・カオは興奮を抑えられなくなっていた。

これは本当に……はやる気持ちと共に、ケノンへの入会を決意した。

暗かった未来に、一筋の光が差し込んだ気がした。

 

入会金を払ってすぐにケノンが届いた。

それは大人の猫が丸まったほどの大きさの楕円形の機械仕掛けの箱だった。

白い本体には蓋がついており、その中には懐中電灯のようなカートリッジと呼ばれる照射器具がコードに繋がれて入っていた。

その器具から照射される光が、ムダ毛を滅してくれるということだった。

 

1回に照射できる箇所は控えめだったが、パ・カオは根気よく続けた。祈りとともに。

威力は最大にした。必然的な作用として起こるとされていた照射の痛みは、強めにゴム銃を撃たれた程度だったので我慢できた。

日々、時間を見つけては苦い記憶を思い起こさせるムダ毛に、ケブカイと呼ばれたパ・カオは、ケノンのご加護を受けながら挑み続けた。

ひと月、ふた月、みつきと時間は過ぎていった。

腕、脇、脚、背中、胸、腹へと範囲を拡張しながら、パ・カオは懸命に戦った。

 

ケノンの加護の下、がむしゃらに攻撃を繰り返していたパ・カオはある日、その事実に気が付いた。

ムダ毛が復活してこない。

一筋だった未来の光が、いっせいに漏れ始めた。

 

消えたのはムダ毛だけではなかった。

ムダ毛に対して持っていた自分自身の昏い考えもいつのまにか滅されていた。

ある暑い夏の日、パ・カオは、ムダ毛を思い浮かべることなくハーフパンツを購入し、帰宅してから自らの行為に驚いた。

海や温泉に行くのにも躊躇がなくなっていた。

 

春の日差しが増えてきた季節。窓を開けたパ・カオの表情には、夏を待つ期待が浮かんでいた。

 

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