【僕のムダ毛アカデミア】

脱毛

ムダ毛は個性?

 

かつてムダ毛は個性の1つであった。

ムダ毛の内実、つまり、腕や胸や腹などに毛が生えていることは、『男らしさ』の象徴とされた。

しかし時が過ぎ、やがてそんな時代は終わってしまった。

 

現在、ムダ毛は個性の1つであるが、その評価は一変してしまっている。

よい『男らしさ』の象徴ではなく、『気持ち悪さ』の象徴へとだ。

 

価値観の崩落

 

現代日本において、ムダ毛を生やしていることは蔑まされる行為の1つにカウントされている。

 

町中、車内、webでは脱毛についての広告が溢れ、ムダ毛持ちの人間に行動を促そうとしているし、テレビや漫画の中でも体毛の濃い芸人やキャラはそのことが笑われる要素となっている。

 

そういった価値観は身近にも入り込み、ムダ毛持ちとして生まれた人間には容赦ない仕打ちが待っていることが多い。

 

人心とは怖いもので、一度自分がそちら側(体毛が薄い側)であり体毛が濃い者たちをイジっていいと知ると、執拗に攻撃してくる。

 

そのため、例えば体毛の濃い者たちがその毛を試みに剃ってみると、ムダ毛がなくなっているのにその行為自体あざ笑うという暴挙にでることもある。

 

自己防衛のためにムダ毛持ちができること

 

かつては男らしさの象徴で憧れの存在でもあったはずのムダ毛は、今や体毛の薄い者たちの格好の獲物。

見つかればいつまでもどこまでも嘲笑され、抵抗しても意味のない現実が待っている。

 

そんなムダ毛持ちの唯一の対抗策が、脱毛であったりする。

脱毛することは体毛の薄い者たちの策略に乗ることだ、そんな考えを持っていないだろうか?

体毛の濃い者たちから貴重な財産を取り上げるビジネスと考えたことがないだろうか。

 

もちろん中にはそういったサービスをしているところもある。

高いローンを組ませ、払い終わる前にサービス自体が終わってしまい、支払いだけが残っている……そんな話もある。

 

しかし例えば、家庭用脱毛器のケノンのような、比較的お手頃な値段で売っているものを買えば、脱毛器自体は自分のが所有することになるから、上記のような憂き目にあうことはない。

 

自分の手ですることになるのが億劫かもしれないが、むしろ他人にムダ毛を見せなくて済むというメリットとして捉えることも可能ではないだろうか?

 

いずれにしても、脱毛が完了さえしてしまえばムダ毛が生えてこなくなる。

ムダ毛が生えてこなくなれば、我々を蔑んでいたものたちもいずれ黙ることになる。

 

もし現代社会でムダ毛に苦しんでいる場合は、試してみるのもありかもしれない。

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