毛深い男性の人生
現在、毛深い男性は、多くの場合において不遇の人生を送る。
それは毛深さが、
- いじりの対象
- 眉を潜める対象
- 見下げられる対象
となっているからである。
テレビで漫画で映画で、毛深い男はひとつ下のポジションに置かれ、その潮流は現実世界にまで紛れ込み、学校や仕事先で何かを言われずに生きてこられた毛深い人たちは稀有ではないだろうか。
毛深い男性の底にある反感
体毛は意思に関係なく生えてくる。
そんな体毛を馬鹿にされて人生を生きてきた毛深い男性には、自らの体毛をどうにかしたいとう気持ちとともに、いわゆる『ムダ毛』がないことを良しとする社会に強い反感も生まれてくることがある。
ムダ毛のない男性キャストをメインに据えたキャスティング、腋毛さえも生えていない漫画のキャラクター、町中に氾濫する脱毛クリニックのポスター。
社会を構成するそんな要素に、体毛が濃い自分を否定されている気がして、あこがれと同時に反感する考えを持ってしまうのである。
そのアンビバレントな思考と感情が、毛深い男性を苦悩から救う邪魔をする。
毛深い男性の脱毛、それは迎合か救いか
上で書いたとおり、毛深い男性であり、かつ体毛について二律背反の考えと思いを持ってしまった場合、脱毛という手段にして、反感を持ってしまうことがある。
それは、自分のことを馬鹿にしてきた体毛の薄い人間たちと同じような体になることに対し、迎合してしまうと思ってしまうからだ。
しかし、それは決して自分を馬鹿にしてきた社会に屈することではない。
問題を解決方法があるのなら、それを利用して解決すればいいという単純なことである。
気持ちが邪魔になって何もしないのなら、人生は何も変わらない。
現状維持バイアスであり、言えば気持ちを害することになるかもしれないが、これまで送ってきた人生を、現在送っている人生が、これからも続いていくだけである。
解決方法が目の前にあるのなら、試せばいい。
ただそれだけである。
それがしたくないのなら、本来において人生を変えたくないのである。
毛深いことで蒙ってきたあれこれを、自分には当然だと認識しており、居心地さえいいと感じているのだ。
だから違う人生があることを認めたくなく、変われるかもしれないチャンスを無視し、明日も同じ日がくることに安堵しているのである。
技術によって人は変わるし、人が変われば人生も変わる。
少なくとも、僕は脱毛をして人生がかなり変わったし、今でもなぜもっと早くやっておかなかったと思うときがある。
だからそこ声大きく言いたいのは、今日、今、これから行動をしたほうがいいということである。
毛深い自分を救えるのは自分しかいない。


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